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ファミコン誕生秘話

83年7月・・・ファミリーコンピュータという怪物が発売された日である。僕は小学校に入るか入らない かという時代である。当時、国内では、米国アタリ社の「アタリ2600」、エポック社「カセットビジョン」 セガ「SG−1000」など、14社におよぶ家庭内ゲーム機戦争が勃発していたのだが、一番 後から出たのが任天堂「ファミリーコンピュータ」であった。しかし、それから市場がどうなっていった のかは皆さんもご承知の通りで、ファミコンの一人勝ち時代・・・いわゆる「ファミコン黄金時代」に 突入していくのである。
では、なぜファミコンが一人勝ちしたのか?・・・そんなことわかってたら僕が作ってます! (当時小学生がなに言ってるか!)なんてのは冗談だが、それにはポイントが2つあったと思う。 それは、まず値段の安さだ。当時の家庭内ゲーム機の相場は3〜5万円程度で、どれもお年玉では かなりキツい値段であった。しかしファミコンは14800円だ。これは任天堂がカスタムチップ 供給元・リコーに「2年で300万台を保証する」と提示して大幅にコストダウンしたからだといわれ ている。次になんといっても質の良さだ。どうやって実現にいたったかというと、任天堂は さっきも出てきたリコーという会社とファミコン専用ICを開発し、他社との差をつけたからだという。 他社のゲーム機は当時のパソコン用のICであったため、色数や音など、ファミコンの物とは比べ物にならないくらいショボかったらしい。 だがその理由以外に、他社とは明らかに違う任天堂の神髄というものがあったから生き残れたのでは ないかと言われている。それは、任天堂がハード屋ではなくソフト屋であったと言うことだ。ハードを 高性能で安くしよう何てことは誰だって思いつく、しかし、それに相応するだけのソフトがなければ 何の意味の無いのだ。極端な話、たとえ本体をタダでばらまたとしても、面白い(売れる)ソフトさえ作ることができれば 儲かるってことだ。本体だけ持ってても遊べないからね。
まあそんなこんなでいよいよ激動の「ファミコン黄金時代」が到来するわけだ・・・

ファミコン黄金時代
ファミコン黄金時代をよりわかりやすくに知るため、簡単に大きく3つ分けることにする。
・・・初期(1983〜86)中期 (87〜89)後期(90〜94)としよう。 説明すると1983年はファミコンが発売された年、1986年はディスクシステムが発売された年、 1990年はスーパーファミコンが発売された年、そして1994年はファミコンのソフトが発売 された最後の年だ。なお年代区分にはいくらか諸説はあるものの、別に明確にする必要もないので、 だいたいってことでご了承頂きたい。
●ファミコン初期
「初期に名作あり」これはファミコンコレクターの合い言葉である・・・と僕が勝手に思っている。 それはなぜかというと、説明するのは非常に難しいが、僕たち単なる普通の小学生(当時)にとって何もかも新鮮 だったという単純な理由もあっただろうけど、なんといっても素直にゲーム性が良かった。コントローラで 主人公を動かし、敵を倒すという複雑で単純な作業が夢のようであったのだ。初期ゲー(ファミコン 初期に発売されたソフト)の良さっていうのは、単純だけど、心に染みる哀愁があるというところか。 当然そこには思い入れもあると思う、馬鹿みたいに何度も同じ面をやっては同じ所で死に、 一日1時間と親に決められた規則を破って隠れてやったりとか・・・そんなこんなで、とにかく初期ゲー はなんか特別なのだ。
話は変わって、当時の任天堂を取り巻く事情を見ていくことにしよう。 当時、任天堂はハードもソフトも自社で出すという方針であったが、ハドソン、ナムコが83年暮れ に参入するやいなや、84年に出されたハドソンの「ロードランナー」ナムコの「ゼビウス」は爆発的 ヒットを記録し、それぞれビルが建ったという。こうした、いわゆる「サードパーティ」がハードの 普及率を押し上げるとともに、任天堂に莫大なロヤリティ収入をもたらした。85年にはアイレム、 アスキー、エニックス、カプコン、コナミ、ケムコ、サンソフト、ジャレコ、スクエア、セタ、ソフト プロ、タイトー、デービーソフト、東芝EMI、徳間書店、バンダイ、ポニーキャニオン、と17の ソフトメーカーが新たにサードパーティに参入し、ファミコン飽和状態を予感させた。
ここで、さっき出てきたロヤリティ収入について説明する。ロヤリティというのは著作権とか、特許権 の意味で、ファミコンカセットの場合、まず、ソフトメーカーがゲームをつくると、任天堂にそれを 渡し、任天堂がROMに焼き込んで返すという方式で、メーカーはそれに箱・説など付けて一次問屋 におろす。この一連の流れで発生するお金のことだ。まず任天堂はROMを大量に発注する。 ROMの原価は大量に発注して700円前後、任天堂が焼き込んで代えす手数料みたいなものが1600円。 卸価格が小売価格の55%として2750円、箱・説などが100円前後としてソフトメーカーが手にするのは 1000円前後。任天堂の一本あたりの取り分が900円だから、100円ぐらいしか、かわらないのである。(参考文献より) データは87年のものではあるが、いかに任天堂が儲かってるのかがわかる。
そんなこんなで、86年、任天堂はディスクシステム発売という冒険で奇跡の時代に突入する。

ディスクシステム投入の謎 〜奇跡の時代〜
1986年2月、任天堂は「ディスクシステム」を発売した。僕はまだ相変わらず小学生として鼻を たらしていた訳だが、その「ディスクシステム」っていうのが、なかなかの曲者で、クソゲーならぬクソシステム とか、任天堂の勇気と陰謀の結晶とか、言われている(僕が勝手に言っているという説もある) では、なぜ任天堂はこの「ディスクシステム」を発売したのだろうか?前項で記述したロヤリティ方式を 思い出してもらいたい、任天堂はソフトメーカーの作るゲームソフトの売り上げの一部をもらっていた。 しかしながら、それが逆にクソゲーの氾濫という致命的な問題を引き起こしてしまった。さらに当時は出せば 売れるという時代・・・そうした現実がまたたくまにソフトの質を落としていったという事実は言うまでもない。 出せば売れるので早く出したいがロヤリティ方式のおかげで開発するにも金がない・・・まさに悪循環だ。 ようするに任天堂が恐れていたのは「アタリショック」(後述参照)なのだ。そんな状況だからディスクを 投入したのだと考えられる。最大の特徴である書き換えができるというシステムでクソゲーを自然淘汰して いこうとしたのだ。また、ディスクには低価格、大容量というメリットもあった。そして最大の目的は サードパーティの徹底的な支配である。
任天堂がソフトメーカーに提示したディスクの契約条件は著作権をも共有しようという内容だったのだ。 その結果、発売当初こそ売れたが、早くもその年にピークに達し、87年に75万台、88年に29万台、 89年には、わずか11万台に激減し、その後は幻のように市場ごと消え失せたのである。一番の原因は 有力なサードパーティの協力を得られなかったことであろう・・・現にハドソンやエニックスなどはディスクに 参入していない。結局、余計クソゲーが増えてしまったのである。(自称クソゲー評論家でもある僕には 嬉しいことだが・・・)また、一方で半導体の急速な進歩により大容量ROMが出てきたことも原因の一つと 考えられている。どっちにしろ書き換えが500円で小売店の利益が100円だなんて・・・
「ディスクシステム」は言ってみれば僕たちファミコンユーザーと任天堂だけが嬉しいシステムだった のだ。しかし、そんなシステムが平気でまかり通っていた時代があったのも事実なわけで、ディスク ライターとかそこらじゅうに置いてあったし、まさに奇跡の時代だったのかなあなんて思ってる。また、 そんな時代の真っ只中に・・・さらに、小学生という貴重な時代に、ファミコンをやれたということだけ でも、なんか感動と言うか、強烈なトラウマ的優越感というか・・・その時代のその年代にしか感じることの できないことを体験できて幸せに思っているのは僕だけかな?
●ファミコン中期
ファミコン中期は円熟の時代・・・創造性と独創性の世界。まさに僕もファミコンが板に付いてきた時代だ。 生活の中心はファミコン一色に染まり、復活の呪文は暗記するわ、親指には十時キーの跡がしっかりついてるわで、僕的にも ファミコンライフの最高潮だった気がする。86年の「ドラクエ」を筆頭に「ファイナルファンタジー」 「ファミスタ」「ガチャポン」など数え切れないくらいの名作シリーズが発表され、さらに数え切れない くらいのクソゲーが大津波となって日本中を沈没させた。ただ、僕は「ディスクシステム」をリアルタイムで やっていなかったためディスクに対しては人一倍劣等感がある。友達に借りてやっていた程度なので、今でも 滅多にやらない。もちろんディスクにも名作はたくさんある。また、「ファミリートレーナー」(86年)や 「ツインファミコン」(86年)がでたのもこの時期だ。一方でメディアの方もファミコン一色といった感じ ではなかっただろうか?ジャンプにドラクエの攻略 記事が載りだしたのもこの時期だし、僕の愛読書「ファミマガ」も絶好調でウソテククイズなど、名物コーナー も思い出深い(今でも読んでるけど・・・)また全国各地でファミコンのイベントが開催されたりした。 ヘクター’87とか実際行ったし・・・とにかくこの時期はファミコン黄金時代の絶頂期であったことは間違いない。
だが、いつのまにか「名作一本の影に、クソゲー100本あり」ということわざが示すとおり、 (そんなことわざはない)クソゲー比率が90%を突破し、この時代も終わろうとしていた頃、 僕もファミコンから離れつつあったのだ。ちょうど中学校に入るか入らないかの時であった。

スーファミ投入の謎 〜終焉の時代〜
みなさんは「アタリショック」と言う言葉をご存知だろうか?僕の同年代はまず知らないだろうけど、 経済なんかに興味のあるひとは聞いたことがあるかもしれない。これは米国の経済の授業では必ず習う ことらしい。アップルやコモドールと同じくベンチャーとして始まったアタリ社は77年に 「アタリCVS」という家庭用ゲーム機を発売した。81年までに全米で1200万台、約5000億円 の売り上げを記録するが、この年を境にゲーム市場そのものが消滅してしまった。その理由は開発力のない サードパーティが多数参入してしまったり、アタリ社自身の有能なプログラマが次々と引き抜かれたり したためだ・・・「おお!まるでファミコンじゃないか?」と思ったひと、実はファミコンがアタリみたい だったのだ。任天堂はアタリショックを「アタリの教訓」として 発売点数制限ライセンス契約などを 行っていた。まあファミコンの場合、消滅したというよりさせたと言う方が正しいが・・・そこら辺の ところは後で述べるとする。
●ファミコン後期
90年11月20日。度重なる発売日延期をへて「スーパーファミコン」が発売された。そのころファミコン 市場は既に人気ソフトとクソゲーの間に完璧な線がひかれていた。その理由として考えられるのは、 ファミコンと共に成長して行った僕たちの年代の目が異常に肥えてきてしまったということである。 また、任天堂のサードパーティの方も100社を越え、任天堂の市場コントロール効力が作用しなくなった からという見方もある。この二つの因果が複雑に絡み合い、問屋や小売店も売れる人気ソフトしか扱わなく なり、一層この現象に拍車がかかったのである。その被害者となったのが、そんな波に埋もれてしまった 「秀作ソフト」達である。実際の話、現在でもネットオークションなどでファミカセは流通しているが、 90年代以降に発売された物の中でこうした「秀作ソフト」は比較的希少価値が高い物が数多く存在する。 それはこのような現象のためであったのだ。91年に発売された「メタル・スレーダー・グローリー」 (高い時は5万円前後の値段が付いたプレミアファミカセの代名詞)などは、その代表的なソフトであろう。 「ファミコン氷河期」(ファミコン後期も終わって、こんにちの再評価時代にうつりかわる一時期) には捨て値で売られていたという話をよく聞く。
さて、話は任天堂の方にうつるが、ディスクでコケた任天堂は再び力をつけてきた他社の製品 (メガドライブとか、PCエンジン)を牽制しつつ、ゲームボーイでひとやま当てつつ、あいかわらず、 「アタリショック」という亡霊に頭を痛めていた。と言うより今までそれをかかげ、ライセンス契約など 行ってきたのだから、この時期にスーファミを投入したのも全て計算であったと考える方が正しい。 要するにファミコンをスーファミで抹殺したのだ。ファミコンにはまだまだ「ドラクエW」のような 名作をだす力は残っていたし、任天堂自身も93年「NEWファミコン」なるAV端子使用のハイファイ なファミコンも発売した。なのになぜ「スーファミ」なんだ?当時、僕は中学2年・・・そんなことは 全く興味がなかったが、現在20過ぎて資料をかき集めて考えているうちに、だいたい解ってきた。 「アタリショック」を自らの手で行って、新たにサードパーティを再編成し、また 「スーファミ黄金時代」でもつくる予定だったのであろう・・・僕はファミコンを集めだしたのは 大学に入ってからなので、スーファミのことは全く知りません。もちろん64とかプレステとかゼンゼン知りません。 ファミコンのことだって、まだまだ勉強不足だと認識しております。
後に時代は「ファミコン氷河期」になり、そして現在の「ファミコン再評価時代」に移り変わりました。 これからファミコンの未来はどうなってしまうのであろうか? (2000年3月8日 オロチ)

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参考文献・・・スーパーファミコン任天堂の陰謀(光文社)ファミリーコンピュータマガジン87年〜90年度版




追記 (2007年4月24日)
ひとまずファミコンの年代区分を整理します。
なお、黄金時代後期以降の年代区分に関してはまるっきり僕の経験上の判断です。
1983〜1986 ファミコン黄金時代初期 初期に名作あり。ファミコン誕生からディスクシステム投入まで!
1987〜1989 ファミコン黄金時代中期 ファミコンにもっとも勢いがあった時期。ディスク投入からスーファミ登場まで
1990〜1994 ファミコン黄金時代後期 スーファミの殴りこみで幻のソフトが続出。スーファミ投入から最後に出たソフトの発売年まで。
1994〜1997 ファミコン氷河期 売れ残ったファミカセがワゴンに山積みにされ、捨て値で売られてた時代。黄金時代後期とちょっとかぶる。
1998〜2003 ファミコン再評価時代 ファミコンが再評価されるようになり、プレミアソフトが登場。ファミコン20周年まで。正直この辺あやふや。
2003〜 ファミコン二極化時代 一部のプレミアソフト等はさらに値を上げ、それ以外は再び捨て値同様に。なぜか互換機が市場に氾濫。

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